and I'll believe in you until the day I die.

映画とミリタリについて書かなかったり、たまに書いたりする。ドイツでネギとニンニクを食べ続ける実験をしている。

ファスト映画への私見:誰が一番のクソ野郎か

今更だが、ファスト映画に関する私見を述べておく。

いや、ファスト映画そのものというよりは、ファスト映画製作者逮捕によって明確になった映画に関係する人間に対する私見というのが正しい。 

 

長いのでお品書き

 

ファスト映画観ていない

まず言ってしまうと、僕はファスト映画系動画を観ていない。観ていないし、日本のニュースで取り上げられて始めて、そういう界隈があることを知ったし、逆に一つくらい観てやろう、と思った時には軒並み削除されていて観られなかった。

何故、暇な時間はずっとYouTubeを流すタイプでYouTubeで映画のトレイラーやレニューをチェックする人間である僕がファスト映画を観ていないのか。

答えは簡単だ。今までYouTubeのオススメには度々出て来ていたが、あんなセンスの無い、つまらなそうな動画、観る気にならなかったからだ。だから、表示されるたびにブロックしてきた。こんなセンスの無いものを作るやつも、それを楽しみにするやつもそもそもの美意識のレベルが低すぎるだろ。今まで美しいものや面白いものに触れてこなかったのか?何か理由があって義務教育を受けられなかったのか?日本の義務教育には美術も国語もあるというのに、かわいそうに。

 

誰が一番クソ野郎か

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今回の逮捕されたファスト映画動画製作者らを、仙台地検著作権法違反の罪で起訴した。具体的に当該動画のどこを著作権法違反とするのかは、報道からはまだ分からないが、順当に考えて最も明白で簡単そうな、引用に該当しない画像や動画の無断使用だろう。いずれにせよ、この逮捕者らが犯罪行為を行ったことは間違いなさそうだ。

 

が、ここで僕が論じたいのは法律の話じゃあない。

 

正直に結論から言おう。このファスト映画問題に関係する連中、被害者ヅラ(というか実際法律的には被害者なのだが)してるやつらまで全員映画に対する態度のなっていない、クソ野郎だと思う。

というか、ファスト映画製作者なんてのは、僕がこの問題のクソ野郎リストを作ったら下から数えた方が早いだろう。

もう一度言うが、ここでは法律問題は論じず、とにかく僕が気に入らない関係者を順に殴っていくこととする。

 

ネタバレ・オチ・「ストーリーを全部言ってしまう」問題

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これはANN newがトレバズでファスト映画問題をとりあげた時のもの。

 

まず気に喰わないのは、のっけからこのナレーターらスタジオの人たちが「結論まで含めて」と映画のストーリーのオチを異様に重視していることだ。

ワイプで見えている人たちもオチを明かされることに対して非常に大きく反応している。男性に至ってはネタバレを「許せない」とし、「結末がわかれば観客減」という情報に対して「そりゃそうですよ」とまで言っている。

僕はお前みたいなやつが一番嫌いだ。

というか、その後「映画って、間とか表情とかBGMとか全てで感じ楽しむもの」というナレーターの意見に対し「まぁそう…」と相槌を打っている。

おい、スジが通ってねえだろうがよお。

 

まず、映画のストーリーを明かされることの違法性が僕にはよく分からない。

Wikipediaの映画作品のページにも、(日本語版は広告代理店気取りのキッズによって書かれた映画チラシみたいな「〇〇の運命はいかに−」と書かれていることが多かったが)映画作品のオチを含めたストーリーは大抵ガッツリ書いてある。次に殴るべきはWikipediaなのだろうか。

 

そもそも映画のストーリーとそのごく一部である「オチ」に「映画の価値」があるのだろうか。

勿論無い。無い、と僕は信じている。映画のストーリーにはストーリーの価値しかなく、オチにはオチの価値しかない

映画を総合芸術として扱っておきながら、ある一点を異常に重視するのは矛盾している。映画のレビュアーや紹介がネタバレに配慮するのは本来、人があることを知ってしまうことには復元性が無く、本人の意思を無視して(映画を観なくても得られる)映画の一部の情報を知ってしまうことで本人の望む状態での視聴ができなくなる可能性があるからであるはずだ。決して、映画のオチが映画の持つ価値の中で一番偉くて他はカスだからと言うわけではない。

まずここが理解できてないやつは死刑だ!(淀川長治)

 

オチ信仰は確かにある。作ったのは誰だ?

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覚えている人はいるだろうか。スティーブンキング原作の映画「ミスト」の日本版予告編を。

「ラスト〇〇分の衝撃」というクソみたいなキャッチフレーズは、一時期予告編の定番の文言として流行っていたのだ。今でこそこのフレーズは鳴りを潜めたが、この頃はありふれたものだった。

勿論この予告編を作っているのは、ファスト映画の製作者などではない。金を払って映画を作らせたり調達してきて日本で売り出すことにした配給会社と彼らが予告編制作を依頼した広告代理店ら広告業界である。

映画制作会社も映画配給会社も映画館も配信サービス会社も、観客となりうる人々にその映画に対して、実際に映画館に足を運んだり配信サービスを利用してもらうだけの強い興味を持ってもらわなければならないと思っている。実際に金を払って映画を観てもらって初めて利益が生まれるのだから当然である。しかも、週一や週二で映画館に通ったり既に観た映画のDVDを買い集める僕らみたいな人間は割合で言えばごく少数で、世界の大半を占める「普段は映画にそこまで興味のない層」を動員する必要がある。だからこそ、このような一点突破のキャッチフレーズを多用したのだろう。

しかしこの予告編から分かるように、僕はある時期からこの業界は客の育て方、要は一般的な映画視聴者を釣る方法を誤ったのだと思う。

かつて、TV番組「日曜洋画劇場」で解説を務めた淀川長治さんは、映画が始まる前の説明で映画のオチや名場面を含めて説明していた。それはオチに映画全体の価値を見出さない、映画に対して真摯な姿勢であったと僕は思う。ある時Twitterで、それがさも問題であるかのようにプチバズったことがあったが、問題なのはオメーの頭だ。

 

 

クワイエットプレイス2。 映画は誰の体験か

このファスト映画問題が逮捕者が出たことによってクローズアップされ、世間を騒がせたのはすでに先月末の話だ。なんで今更になって僕が上記のような私怨をツラツラと書いているのか、それは怒りも少し収まったかと思う頃になって全く他の方向からぶん殴られたからだ。

この問題の根深さを再認識させ、僕の怒りを掘り起こしたのは「クワイエットプレイス2」の日本のTwitterアカウントが投稿した「宣伝」だ。

 「映画は総合芸術」であり、オチにはオチの価値しかないと僕の意見を述べてきた。「映画は芸術以前にエンタメだろ!」という意見もあろうが、エンターテイメントと芸術の境界は曖昧だ。美術館で絵画や彫刻を鑑賞したり自分で作品を作り出すという芸術性の高いことが時間を潰す手段としても何より楽しいという人もいれば、ディズニーランドのようなエンタメ性の高い場所の美術を見て回る人もいる。

とにかく、映画が芸術である以上、その体験は個人のものだ。みんながどう、ではなく、映画体験自体は個人に帰する。ディズニーランドにみんなで行ったのがどんなに楽しくてもその中の一瞬一瞬で思った気持ちは自分だけのものであるように、ある映画作品がどんな評判であっても実際に観た感想と体験は視聴者個人のものだ。

 

それがヨオ!オイ!このCMはスジが通ってねえだろうがヨオ!!!

 

このCMの、この映画で「驚くところ」「怖がるところ」「こんな感想を抱こう!」という懇切丁寧に集団意識的な体験としての映画を推していく、この作り!

このCMを作ったやつは死刑だ!(淀川長治)

僕個人的としても虫唾が走る。勿論、映画を観る上でも「モデル読者」としての感性は必要である。だが、このCMはどう考えてもモデル読者を育成するものではなく、映画鑑賞をある特定の決まった反応をある決まった場面で起こせばいいと、映画鑑賞、映画体験を単純化している。結局、総合芸術としての映画を鑑賞することに興味なんか無く、映画の特定の要素だけを知っていればいいという、ファスト映画愛好家を育てているだけではないか。

 

 

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時事ドットコムのこの記事において、電通メディアイノベーションラボの天野彬主任研究員は

「今は処理し切れないほど多くのコンテンツが身の回りにあふれている時代。人々は限られた余暇をどれだけ効率よく楽しむかという『タイムパフォーマンスの良さ』を重視している」

とし

「面白くない映画にお金と時間を消費するくらいなら、無料のファスト映画をたくさん視聴した方が得だという心理が背景にある」と分析

と述べているが、まさに映画を売る連中がそういった視聴者を育てている、と僕は思うわけだ。しかし、この分析をしているのが広告代理店最大手の電通なんだから皮肉なもんだ。

 

YouTubeくんクソ野郎問題

ここまで様々な関係者を殴ってきたが、今一番たくさん殴りたいのはYouTubeだ。お前が一番気に喰わない。

何故か…何故か何故か全く不思議なことに、著作権の有効な映画作品の映像や画像を勝手に「引用の例外」に該当しない方法で使用した違法性の高い動画をサーバーに保存し色々なユーザーにオススメとして視聴を誘導しそして広告費で儲けた金の一部を実際にファスト映画動画投稿者に渡しているYouTubeくんは、全くと言っていいほど批判の対象になっていない。既にこの場に引用したマスメディアの記事でもニュースでも、YouTubeは全く批判されていないし、あまつさえ今回の件では動画投稿者の情報を提示した正義の味方か、プラットフォームを悪用された被害者であるかのような扱いだ。

おまけに、日本のファスト映画がほぼほぼ消滅した今、僕のYouTubeトップページには海外のファスト映画がオススメとして表示されるようになった

なんで、観てない動画がファスト映画だって、分かるのか?

簡単だ。

日本のファスト映画と、タイトルの構文も平均的な動画時間も一緒だからだよ。センスの無い人間は洋の東西を問わない。

YouTubeくん、やっぱり一番クソ野郎なんじゃないかな。漫画村がクローズアップされ摘発されて久しいが、いまだに漫画本編が動画としてYouTubeにはアップロードされているし、彼らにそれらを摘発する気はさらさら無いようだ。死ね(直球)

 

過剰な自衛

最後に、パンチではなくビンタくらいを見舞ってやりたい関係者の紹介だ。

ファスト映画問題での摘発を受け、映画やアニメレビューや解説動画の投稿者が軒並みを一時的に自らの動画を視聴不可能にしていた。既にレビュー動画に戻ってきた人もいるし、まだ静観を決めている人もいるが、戻ってきた人の多くは、レビュー動画で使用する画像として本編や予告編で使われた実際のものではなく、投稿者自らが描いた絵を用いるようになったことだ。

それはやめた方がいい、と強く言うことはできないが、それはやめた方がいい。

ここ以外でも既に指摘されているし、レビューや解説動画の投稿者も重々承知のことであるが、そもそも著作権保護法において引用は、その規則を守る限りでは例外である。

www.bunka.go.jp

文化庁においても、それは説明されている。

 

「自衛は大事」と思うかもしれないが、「過剰な自衛」はまた話が別である。この過剰な自衛で、自作の絵を用いての解説がレビュアーの(一般認識としての)条件となってしまった場合、絵を描けない人間の意見の自由な発表の場は失われることになるし、そうなってはレビュー(意見)の多様性にも関わってくる。絵を描ける人間はみな同じ思考、では勿論ないが、絵を描ける人間は絵を描けない人間の思考を完全に代弁できず、その逆もまた然りである。

過剰な自衛には、同人誌即売会での同人誌やAVでのモザイクなど、誰が何の為にやっていて一体何に対してどんな効果があるのか全くわからないものを生んでしまった前科が、既にある。

勿論、自分の意見を発信するたびに逮捕や摘発といった危険に実際に晒されるのでは、割が悪すぎるし、そもそもそれは健全な表現の自由のある国家とは言い難い。なので、文化庁でもCODAでも何でもいいが、とにかくどこまでが引用でどこから違法性が高くなるのかをより明確に示してもらいたいものだ。これは、この国の文化的根幹にも関わることだと思う。

 

あと、蒸し返すけど、レビュアーの多くが元々映画のオチを重視しているのも気に喰わねえ。ビンタさせろ。

 

 

追記:クワイエットプレイス2のところで言及した「モデル読者」についてだが、Googleで「モデル読者」で検索すると「読者モデル」ばかり表示されて、Googleが人類に智恵をもたらさないことが分かったので、モデル読者がどんなものか多分一番わかりやすく解説している動画を置いておく。

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